最後の試合はハイネケンカップ準決勝。
ラ・ロシェル(フランス)とのアウェー戦でした。
釜石ラグビーファンだけでなく、釜石市民にとっても忘れられない最強助っ人の一人ですね。
スコット ファーディー、釜石で愛されたラグビー選手の引退
試合開始日時:2021年5月2日(23時)日本時間
試合会場:スタッド マルセル デフランドル(フランス)
19番を着て、後半72分から出場しました。
勝てば決勝まで引退はお預けだったのですが、残念ながら32対23で敗れ、現役にピリオド。
今期の試合を観る限り、「まだまだ現役で」って思うくらいの動きをしていたのですが、4シーズンをチームの主力として活躍し続けた、もうすぐ37歳になるファーディーの体は限界に近づいていたのでしょうか?
引退後の去就については、「すべてが終わったらゆっくり考えたい」としていますが、金の招き猫が似合う「あの方」から、既にFWコーチのオファーを受けたとか受けていないとか・・・?
恐らく来年は、釜石では無い日本のチームでコーチをしていると思います。
トップ画像は【2022年5月】に更新しました。
本当にお疲れさまでした。
追伸
ファーディーと入れ替わりで日本のチームに在籍したジェローム カイノ選手も、今シーズン終了後に引退を表明しました。
釜石から羽ばたいたラグビーマン:スコット ファーディー
オーストラリアの地域リーグ(ワラターズアカデミー)でのプレーが評価され、フォースのスコッド入りを果たした2008年。
しかし、試合出場までには至らず、翌年の契約延長も無し、他のチームからもオファーはありませんでした。
プロとしての実績がないファーディーは、25歳になる2009年に来日。
当時の釜石はトップイースト(下部リーグ)に属し、ほぼ全ての試合に出場したファーディーは本職のロックだけでなく、ブラインドサイドやNo,8もカバーした超主力選手でした。
契約期間は1年でしたが、チームから契約延長の打診を受け、その後も釜石でプレーすることを選択しました。
そして・・・
釜石在籍中に「東日本大震災」を経験
激震を経験。
津波被害は免れましたが後日談では、
「まるで終末のようだった」「何もかもが平らになり、なくなっていました」「大きなガス火災があって、すべてが燃え尽きていた」「信じられないほど悲惨、二度と見たくない光景だった」と語っています。
震災から数日が経ち、普段利用していた商店が倒壊し、ファーディー選手は配給された物資を口にしながら、「自分が今していることは正しいのだろうか」と深く考えるようになったそうです。
なぜそう感じたのでしょうか?
震災発生から5日後、オーストラリア大使館から、ファーディー選手を含む海外選手とその家族を帰国させるための車と飛行機を手配したという連絡が入りました。
しかし、ファーディー選手は帰国を拒否。
彼は「ここに残ります。私たちは、この町を助けるためにできる限りのことをしたかったのです」と話し、帰国を選ばなかったのです。
さらに、ニュージーランド代表で17キャップを持つピタ アラティニ選手をはじめ、他の外国人選手たちも同じように帰国を拒否。
物資運搬のボランティア活動に参加する姿は、海外でも大きな話題となりました。
日本を離れたファーディーは、2012年オーストラリアの古豪ブランビーズと契約したニュースは、釜石のファンに喜びと感動を与えました。
さらに!
翌年には悲願の代表入りを果たし、2015年ワールドカップ(イングランド大会)では、主力メンバーとして決勝の舞台にも立ちました。
スコット ファーディー Scott Fardy
出身地:オーストラリア (ニューサウスウェールズ)
生年月日:1984年7月5日
身長:198cm
体重:110 kg
ポジション:LO FL
ラグビーキャリア
クラブチーム
2008 – 2008 フォース(オーストラリア)
2009 – 2012 釜石シーウェイブス(日本)
2012 – 2017 ブランビーズ(オーストラリア)
2017 – 2021 レンスター(アイルランド)
代表
3013 – 2016 オーストラリア代表
スコット ファーディは献身の象徴
スコット ファーディー(Scott Fardy)は、タフで献身的なプレースタイルで知られる元オーストラリア代表のラグビー選手です。
特にブレイクダウンの場面で際立ったパフォーマンスを見せ、2015年のラグビーワールドカップで準優勝に貢献しました。
派手なプレーを好まず、泥臭くハードワークをこなす選手としてチームに欠かせない存在でした。
クラブレベルでは、スーパーラグビーの「ブランビーズ」でプレーした後、ヨーロッパに移籍。
アイルランドの「レンスター」ではチームのリーダー的存在となり、ヨーロピアンチャンピオンズカップ優勝も経験しています。
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